昭和四十一年七月二十九日 朝
こゝでおかげを受けるという事は、皆さんの信心 いわゆる皆さんの受け心と 受け心と私のお取次の働きと、皆さんの受け心とがひとつになって、おかげを生み出していくのです。
皆さんの受け心と同時に、私がこゝでお取次をさして頂くその働きと、私がこゝでいかにお取次の立派なお取次が出けてよい お取次を皆さんにさせて頂きましてもね、おかげと皆さんにお取次をお渡しすると、こう致しましても、皆さんがそれを取り落としたり、よう それを頂かなかったりしたら、おかげは生れて参りません。ね、それが例えば皆さん、こうやってお参りんなっておるという、例えばこうして修業なさっておられるという、も そういう事からま、おかげを受けるという場合もございましょう。
けど何というても矢張り、おかげは和賀心にありと仰る様に、皆さんのその受け心ひとつで、そのおかげを本当におかげたらしめる十全なおかげにするのです、んなら皆さんに、どんなに素晴らしい受け心がありましても、私のお取次が本当の、いわゆる神様から頂いたものを、私が中取りして皆さんに渡したんじゃ、皆さんのおかげは少なくなってしまう ね。
神様から頂いたものを、皆さんに十分にお渡しする役目が、云うなら私の役なんだからね。
お道の信心ではね、お取次の働きによって とこういう事を申しますが、そういうお取次の働きが、皆さんの受け心によって受け止められていくという、ねえ、ですからお粗末な受け方では、おかげが漏れます、ご無礼な受け方ではもう、おかげがおかげんなりません、そうで御座いましょうが、ね、金光様の御信心なそうなんです勿論、それをひっくるめて申しますと、金光大神のお徳であり、天地の親神様の御徳をです、金光大神の御信心、金光大神の御神徳によって、私共にお取次を下さるのです。
その金光大神のお取次の、云うなら手代りを私、さして頂いておる訳なんだね、そこに金光大神のお取次をです、もう無類というか無比というか、もう完璧という、その天地の親神様の御恩徳をです天地の金光大神様が、お受けになっておられるのでございますからそれを、いかに立派にお取次の御用として、私が果たせるかというところに、私の修業があるのであり、そのお取次を頂いてから願われる、その皆さんのです、そのおかげを皆さんの、いかなる信心心を持って、それをキャッチされるか、受け止められるかというところに、皆さんの信心がある訳なんだ、だから、も こゝんところはあいまっていかなければいけない。
もう金光大神の御徳と、天地のいわゆる、この御神徳というものと、金光大神の御信心というものは、こりゃ、も絶対なものなんですね、お取次というのはそういう絶対なもの、その絶対なものである、そのお取次をです、んな私がそこに、少しでもおろそかにしたり、いゝ加減にしたりするところにです、ねえ、その折角の金光大神の、お取次の働きによって、又天地の親神様から金光大神を通して、私がこゝで頂いておるものをです、ねえ、皆さんに、いかにこれをスム-ズに立派にお渡しするかというところに、私の責任がある、だから、私が渡すのですから、皆さんどうぞ、それを受け落とさないように、受け漏らさないように、皆さんの信心又は修業によって、それを受け止めて下さいよというのが、お道の信心だと、こう思うんです、ねえ。
ですからそれが、あのお粗末んなっちゃならんのです、ご無礼んなっちゃあ頂けないのです、だから必ず皆さんは御祈念の時に、それを云われるでしょうが、ねえ、人間生身の事で御座いますから、ね、凡夫の事でございますから、いわゆる相分かりませず、何処に御粗末が、ご無礼があるやら分かりません。
どうぞ平に平にお許しを頂きまして、ね、又、お粗末ご無礼んところは、見直し聞きなおし下さいまして、どうぞおかげを、だから見直し聞きなおしもして下さる、神様の事ですから、ねえ、知らず知らずのお粗末であれば、ご無礼であればです、もう神様も大目に見て下さる、ね、けれども知ってのお粗末、知ってのご無礼、これでは頂く者のあまりに信心を欠いており、実意を欠いておる事になるのでございますから、ね、御理解を頂いて、その御理解を頂いて自分の心が開けてくる。
ハ-そういう事ではおかげは受けられんのだな、こういう事ではア-おかげを漏らしてしまうんだなと いう事が分かってくる。
ア-こういう事が粗末んなるのだ こういう事がご無礼になるんだなという事をです、よう分かりなさらにゃいかん、ねえ、そしてそこんところを、私実意丁寧、全ての事を大切にしていかなければならん、ね、それでも尚まつ 尚且つ知らず知らずの御粗末が御座いましょう ご無礼が御座いましょうと、こうお詫びしていかなならん、お詫びの印に修業もさしてもらいます、もこげなこっちゃおかげ頂かん事は分かっとるばってか、しかし始めからおかげを頂かん事は分かってとるばってじゃ、おかげの頂けん、現われてくる筈がないですよね、皆さん、今日はひとつそこんところをですね、もうお粗末んなっちゃならん、ご無礼というところは ま、ちょっと今日おきましてね、お粗末というところをですね、例えば頂いたもの ね、そげなお醤油のお粗末な使い方してから、といった様な事を申しますでしょうが、ね、お漬物やらをつけるのに、お醤油をこう 本当に余らん様にと こう心してすれば必要だけ、こう一滴二滴かけることが出来るんだけれども、( )にしておりますからガバ-ッとかける、そしてお漬物頂いた後には、醤油がこゝにいっぱい残っておる、まあよかよか、これば頂きゃよかけんで、ちいうさあ喉ん渇いてから、お水頂き過ぎて腹んせくち云うごたる事んなったんじゃ、愈御粗末がお粗末んなるでしょうが
ですからね、頂きさえすりゃよかよか、余ったつはも鶏やるけんで、もうそげな事ちゃないです、鶏にやる物は 鶏にやるのはちゃ-んと神様は下さっておるのですから、人間の頂く物は人間の頂く物、これを私は、んなら食物でいったが分かり易いから、食物の事で申しておりますんですよ。
自分がねえ、例えば人間を粗末に扱ってはおらんか、食物だけじゃありません物を、事柄を粗末に扱ってはおらんかね、も心掛けなんですよ、ね、お醤油ならお醤油頂く時にです、とこう 私の家内が頂いとる御理解の様に、ねえ、あのメンソレ-タムという薬が御座いましたね、あの蓋で醤油をこう計ってから、こう入れておるところを頂くんですよ、メンソレ-タムという事は薬という意味でしょ、例えばお醤油ひとつ使うでも、薬使うごたる気持ちで、使い過ぎったら毒になる、それくらいな心掛けで使えよと。
もう何十年も前でしたけれど、御理解頂いとります、ところが段々お粗末ご無礼んなって参りましてからね、ガバ-ッ アラッ、今日んと少し辛過ぎた、水を薄めなん ねえ、これではもう本当にお粗末です、心掛けです、それこそ薬使うごたる気持ちで、お醤油を使おうというその心なん 心掛けというのは、それは んなら食物だけの事ではありません、という事
ねえ、第一人間をお粗末にしてはおらんかと、ね物を、ねえ神様の下さった物、頂いておる物、様々な事柄、事情といった様なものでも、もうよかよかで向こうに、押しやっとる様な事はないだろうか ね、必要なものを必要に応じてです、使わせて頂く事は、ひとっつもお粗末じゃないです、活きておるのですから、ねえ、活かして使うという事ならばです、これはお粗末じゃないです。
どんなに 例えば電気を沢山使っても、どんなにお米を沢山使っても、どんなに沢山のお醤油を使っても、活かされていく時にはもう、お粗末はないです、ねえ どうぞ皆さんそこんところをですねえ、もう今日は あのお粗末ご無礼があっては、おかげになりませんね、知らず知らずにでも、やはり知らずの場合には、お粗末 あの知らず知らずのお粗末ご無礼を、見直し聞きなおしというて、願わしてもらうのであり ね、平に平にお許し下さいというて、お詫びするのであるけれども、知ってからのお詫びのしようがないじゃないか、それは横着じゃないか、実意を欠いでおるじゃないか、ねそういう事ではです、やはり金光大神のお取次の働きが、どの様にですね、完璧なまでにお取次の働きがあっておってもです、それを受け止めることは出来ないです ねえ、又こゝで私がです、そのお取次の働きを皆さんに、そのまゝお取次させて頂いても、皆さんが取り落として割ってしまう、取り落として水んしてしまう、流してしまう ね、これでは馬鹿らしい話です。
たった ちょっとした心掛けからです、おかげが生れておるといった様な事では、馬鹿らしい話でございましょうが、ですから、ひとつ今日はね、そのお粗末ん お粗末んしちゃならんと 一切を、ね、それでも それを心掛けておっても、やはり何処に御粗末やご無礼があるやら分らん。
御粗末の為に ご無礼の為のです、お詫びをさして頂くと同時にですね、自分の心に感じた、自分の気付いてからのお粗末やらは、も絶対お粗末んなってはならない心掛け それは醤油を薬でも使う様な心掛けが要るのです。難しい事じゃない。
私昨日、そのお粗末という事で、本当に考えさせられた事があるんです。なる程本当 久保山先生にお願いしてから、ある 私は絶対この手紙を自分で書きませんですからね、なんぼ もう、あのうお初穂を送ってきても、お願いがあっても、お取次さして頂いてから、それに対して返事を書かないのです、こりゃ も絶対ですから返事がどうでも必要な時には、久保山先生 又は若先生に私書かせてから出させるんです。
それを必ず一応見せて下さいって、私が念のため云うて、そして御神米を何時も同封してから、お送りするんです。
昨日も久保山先生に書いてもらった、読ませて頂いて、さすがだなあ と思った。もう字の綺麗なこと、書き出しだけでですね、こりゃおかげ頂くと私は思った。
本当に これが久保山先生のやっぱり信心だと私は思うた、書き出しんところだけ皆さんが聞かれただけでも、何時も頂いておるようだけれども、ハア-ほんにそれだけでもおかげ頂くんですねえ、これが私共がです、心にあるものがです、言葉になって出る様に、久保山先生なんかは も心にあるものが もうスルスル下書きなさるわけでも、なんでもないんだけれども、心にあるものがもう文章になって出てくる訳なんですよね、二枚にギッシリその事が書いてある、こう書いて お手紙拝見致しましたと、この頃目が薄くなってから、お手紙拝見致しましたと、幸いにあなたが健康のおかげを頂かれて、何かの御用のでき 出来られる事は有難い事でございます、これだけなん、幸いにあなたが元気で様々な御用がでけておられるという事が、有難い事でございます。
というのが書き出しである、ご主人 もう大変難儀な病気をしておられるんです、様々な難儀、色々あるのであるけれども、ハア--ほんなこって、もあれも難儀これも難儀、これも不幸と思うとったけれども、私がしあ、幸せな事に私が健康で、その御用が出けておるという事が第一、有難い事だとこう、も これだけでです、本当におかげ頂きますよ、ところがですたい、一番最後んところでした、二枚目、私 段々読んでいった ねえ、したらこんな事一番最後にね、真ん中を一言一言読みますとね、今日、私お取次の事の働き 真ん中んところにこういう事が書いてあります。
私の祈りは大天地に通ずると仰る 親先生の祈りを信じ、親先生の祈りにお任せしなさい ね、例えば親先生のお取次はもう、いうなら完璧なものだと、親先生の祈りはそのまゝ天地の親神様に通ずるとさえ、仰るのでございますから。
ということが書いてございましたね、これは も、こゝで以前に信心の稽古をした事があるとですけん、そこんところは分かっておる、もう書き出しだけでおかげ頂き、中でおかげを頂き、ところが一番最後でおかげを落とすというところなんですよね、後先、後と真ん中は 先と真ん中は見事だ、ところが一番最後 親先生よりお下げ下さった御粗米を同封させて頂きますと、
親先生からお下げ頂いた御粗米と書いてある、御神米の書き間違いなん、ねえ だから御粗米、御粗米と書いて下さる、お粗末という事んなるでしょうが、あの粗末の粗ば書いちやる、ね、末 米と云う字を続けて書いて下さい、末と 御粗末の末という字のごとなりましょうが、ハア-これ お粗末どん同封しとったんじゃあ、おかげは頂かれんという事なんです。
私ゃこれを見せて頂いてから、本当にひんやりしま ひんやりならよかですたい、この暑か時でした、ひんやりならよか ヒヤッとしました、それこそハ-よかった これでは この これでは これが助からんと私は思うたです、ね。始めて それ 始めのところはです、ハ-ほんなそこんところを私は忘れておった。
ほんにそれじゃ真ん中んところで、親先生のお取次を頂くのであるから、ハ-これで安心と、こう思うたであろう、ところが一番最後にです、御粗末を私が送ったんでは、どうしておかげを頂ける筈はないじゃないですか。
ね、例えば皆さんもです、御理解を頂いた朝、ハ- もう親先生の御理解の一言で、ハ-そうじゃったと心が引き締まる、ねえ、そして親先生のお取次を頂いて今日も そこ迄は立派、けれども後の御粗末が、ご無礼がです ねえ、こりゃ念には念を入れて矢張り、私はよく先生が「 」みせんな出す事があるんです、だから必ず見せて下さいと私、ほんにそげな事であっちゃあ おかげ頂かん、矢張りこりゃ、私ゃ目を()させて頂いてよかったと、私が思うのです、ね、御粗米どん送ってどうする、おかげ頂くはずがないじゃないですか。
御粗末を送ったっちゃ、それで助かる筈がないです、問題は私のお粗末なんだ、それで私 昨日は考えた、ところが ところがもう本当に肝心要の ハ-こげなところをお粗末に、しとるもんじゃから、これじゃ助からんぞと私も思うた。
それ以来その事ばっかり私、お詫びさして頂いとる訳でございますけれども ねえ、今日この御粗米を ねえ 御神米に書き直さして頂いて、本当に御神米として送らせて頂いて、おかげを受けて頂かんならんとこう、と同時に私自身の危ない事でですね、御粗米を御粗末を送ろうとしておったと云う事をです、気付かせて頂いたという事は、有難いと思うて、今朝の御理解を頂いておる訳でございます。ね 皆さん、お粗米 こげな事じゃお粗末んなる、という
自分で知った事をですね、私はその 平気でする様な事ではおかげんならん、それではなくても知らず知らずのところに、何処に御粗末があるやら分らん、お詫びの印の信心が出来なきゃいけん。
ね、自分の心掛けでは出来るのだと、そして、これはおかげが受けられんのは、どういう訳じゃろかと、例えば昨日、私がこの事によってヒントを頂いた。
私が考えさせられ、思わせられた様にです、ハ- こげな大事な事をお粗末にしておるんだと、これでは信者が助かる筈はないという事、私気付かして頂いた気がするんです。
も その事が当っておるか当っていないか、分らんのだけれど、ま ひとつでもそこを分からして頂いたという事を、有難いと思うて、今日改めて又、手紙を出したいと思うとりますけれどもです、今日皆さん、そこのお粗末というところをですねえ、どうでもひとつ御神米に、訂正さしてもらわなきゃなりません ね、どうぞ、もう今日 御粗末のない一日であります様に、そこんところに祈りの焦点をおいて、心掛けをひとつもっては、もう御粗末を愈少なくする事も出来る、それでいても本当に知らん中に ねえ 気付かんなりに侵しておる、御粗末も御座いましょうけれども、そこはひとつどうぞ、平にお許しを頂きます様に、お詫びの印に、例えば大祓一巻でも奉上さしてもらいますと、いった様な生き方がです、信心さして頂く者の、ひとつの姿勢の中に必要じゃないだろうか、という風に感じますですね。 どうぞ。